ワンピースという物語における天竜人の解釈違い【25/10/19】

アニメや漫画の話題で解釈違いという言葉をよく聞く

まず解釈違いとは

「解釈違いとは、異なる人間同士の見解や理解度、理想像が相違すること。また、それによって起こる諍いも指す」引用:ピクシブ大百科

「解釈違いとは、アニメや漫画、ゲームなどの創作上において、受け取り手の解釈が創作者と異なる際に使われる用語である」引用:ニコニコ大百科

現代インターネットでは、この2種類の意味で使われているのをよく見る。
「受け取り手同士の解釈の違い」と「受け取り手と創作者の解釈の違い」。

私が今回話したいのは、受け取り手と創作者の解釈の違いの方である。

受け取り手同士の解釈違いはよくわかる。
ひとつの物語があったとして、その結末がどうなったのか――ハッピーエンドだったのか、バッドエンドだったのか――は受け取り方次第であり、受け取り方は十人十色である。

だが、創作者と受け取り手の解釈の違いというのは、受け取り手同士の解釈の違いと同じ言葉で表していいのかと思ってしまう。
別に創作者の作るものが絶対的な思想や考えではないのだが、どうしてもその2つの違いというものが同一の「解釈違い」として扱われるのには違和感を覚える。

例えば――クールで真面目なキャラ。
だが、怖いものが大の苦手で、お化け屋敷ではヒロインにしがみつき、弱音を吐く……そんなエピソードがあったとする。

そのとき、SNSなどで
「〇〇が怖いものが苦手なんて解釈違い!」
「〇〇がヒロインにしがみつくシーン、解釈違いすぎる……😢😢」
といった声があったとしたら、少し違和感を覚えてしまう。

各々でキャラクターの理想像が違うことはしょうがないとしても、
それは単にそのキャラクターの別の一面を見ていなかっただけでは?と感じてしまう。

それはもう創作者が創るキャラクターではなく、受け取り手が作り出した独自進化のキャラクターのようなものに思える。
創作者がそう描いたのであれば、それは「解釈違い」ではなく、ただ「自分の理想像から離れてしまっただけ」なのではないか――そう思ってしまう。


すいませんここまでこの文章を書いたのには深い理由があってですね…..

それが…..

ワンピースに出てくる天竜人いらなくね!?!?!?

ここからはワンピースの1162話までのネタバレを含みます!!!!

すいません、これが言いたくて前置きを書きました、解釈違いです、天竜人が……

というのも、ワンピースは海賊の漫画なわけじゃないですか、そして海賊の漫画なら敵役として海軍が出てくるのはわかりますよ。

でも海軍の上いらなくね!?!??

まず、海軍の上というのが天竜人になる。
そしてその上に神の騎士団、さらに上が五老星で、その頂点にイム様がいる。

海軍の上にいろいろな存在が多すぎて、もう海賊の漫画という感じじゃなくなってきている気がする。

最新話までの話としては、今はエッグヘッド編が終わってエルバフの話になっている。
この時点で海賊とは戦っておらず、戦っている敵は神の騎士団が主になっている。

さらに今はずっと回想をしており、過去のゴッドバレーでの出来事が描かれているのだが、ロックス海賊団とロジャー海賊団、そして海軍であるガープが来て戦うのはいいとして――
神の騎士団、いらなくね!? ただ胸糞なだけでは!?

「海賊らしく残虐な殺しだ!!!」という感じでもなく、ただただイヤ〜な虐めを見せられているような、それこそ差別的・格差的なイヤ〜な虐めや虐待をずっと見せられている。

海賊は基本的には悪い奴らなわけだから、それを成敗する側として海軍がいるはずなのに、海賊より非人道的で悪いことをされると、海軍は何がしたいのかよくわからなくなる。

海軍で真面目に市民を守りたいと思って働いている海兵が可哀そうに見えてくる。
だからコビーたちは海軍の別行動部隊みたいなのを結成しているわけだけど、コビーとかよりも日の目を浴びていない海兵が可哀そうだ。
自分は正義のためにやっていると思っていても、その実、天竜人の肥やしになっているわけだから。

赤犬とかはどう思っているんだろう。
確実に天竜人の行いを知っていて、それでも海軍に正義を見いだせるのは――それはもう、なんか違う“正義”なのでは?


ここまで話したけど、これは単純に私の1解釈にすぎないのでね、ワンピースがどうなるのかは尾田栄一郎先生の今後次第なので、体調不良とかで休載とかしてるみたいだし、健康でいて欲しいですね。

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