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無意識の信頼への恐怖【25/09/26】


この前、自転車に乗ってる老人を見かけた、その老人は猫を前カゴに載せた状態で自転車を漕いでおり、猫はカゴから身体を乗り出している状態だった怖かった。

また別の日にショッピングモールにて、3階の高さの手すりに恐らくは小学校低学年ほどの年齢の男の子を座らしてる父親であろう人物を見かけた。 こちらも怖かった

このふたつの恐怖に共通してる部分が「他人の命を預けている」ことだ。 猫も子供も言ってしまえば自分以外の他の命であるわけで、その命を「手すり」や「前カゴ」に預けている状況が怖かった。

    もしこれが「老人が前か後から身体を乗り出してる状況」、「父親が手すりに座ってる状況」だったら。 危ないなとは思うがこの恐怖でありヒヤヒヤする感覚は感じていないと思う。 この違いは自分の命を預けているか他人の命を預けているか、その違いが見ている第三者からしたらこうも違ってくるのかと思う。

    この恐怖は危ないとか落ちそうという恐怖ではない、自分と他人の

    これは自分と他人の信頼関係、故の恐怖な気がする。

    これは「銃を渡して背中を預ける」みたいな信頼ではなく、子供、猫が持つ「無意識の信頼」に近い、「泣けば近くに来てくれて求めている物事」が手に入る、これは信頼という概念を知らなくても持っている、無意識の信頼である。

    この無意識の信頼を裏切ろうとしている行為ももちろん怖いが。
    私はその無意識の信頼関係が成り立っていること自体が怖いと思った、子供や猫に限らずどんな人間にも無意識の信頼は存在している、「階段を下りてるが後ろに人がいる状況」「青信号だから車が止まってくれる状況」「水道代を払えば水が出てくる」みたいな当たり前の信頼が成り立っている状況が怖いですね….


    今日は一日中草むらをうろうろしていたよ、

    その結果だね。

    ラストスが欲しいです。再走

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