日記のお時間です。
『ステラより、溢れんばかりの愛を込めて。』という配布脱出マップを遊んだよ。

3日前とかに公開されたばっかの統合版の脱出ワールドなんだけど、いわゆる言語解読が主軸になっている。
こういう言語解読系は面白いよね、読めるようになった時の「お前~~こんなこと書いてたのかよ~~!!!!」っていう感じの気持ち。
面白いのでやってみてください、統合版の配布ワールド導入ありえいくらい楽なので、全くPCの知識がない人でもちょっと調べたらできるし、PC自信ニキは感覚でできる。
「猿でもできます」、的な文言をたま~に見かけますけど、正直「猿」という例え方は違くないか?と感じてしまう。
例えば、マイクラ統合版の配布ワールドの導入は簡単な作業だけど、猿にはできないと思う。
「これは簡単な作業ですよ」という意味で「猿でもできる」という表現が使われ始めてから年月が経つにつれ、その「猿でもできる」の基準が上がってしまっている気がする。
以前インターネットで、「はんだ付けなんて猿でもできる」と言っている人を見かけたことがあるけれど、正直「いや、猿には無理だろ」としか思わなかった。
おそらくその人は、「はんだ付けは初心者が思っているほど難しくない」ということを伝えたかったのだろうけど、「猿でもできる」と言われてしまうと、どうしても「え?」と思ってしまう。
まあこれは、人間の行動を「猿」という、いわば動物に例えているからこそ、多少の「馬鹿にしている感じ」を受け取ってしまうのだろう。
もしそれが明確な指標だったら、そうは感じなかったと思う。
例えば「はんだ付けを経験したことがない人でもできる」という言い方なら、事実に基づいた説明として自然だし、「工業的なことに全く知識がない人でも」と言われても素直に理解できる。
それに、「猿」と言われると多少の知能があるぶん、余計に馬鹿にしている印象が強くなるのかもしれない。
これがもし「ハムスターでもできる」だったら、「すごく簡単にできることを伝えたいんだな」というふうに受け取れる。
つまり、「猿」という中途半端に知能のある存在を例えに使っているから、違和感を覚えるのだろう。
「〇〇でもできる」と言いたいときは、むしろもっとかけ離れた存在――たとえば「錦鯉でもできる」くらいのほうが、誇張として伝わりやすいのかもしれない。
あとはもしできなかった時の落ち込み度がすごいから、猿って、でもハムスターとか錦鯉なら許せる可愛いから綺麗だし。
出たね、ポチエナちゃんが。
この子はグラエナにする予定なんですけど、ポチエナ系統は♀がそろったね。
名前は「いいだ」漫画家/イラストレーターの飯田ぽち。先生からです、「姉なるもの」良いよね….
らしいですよ。
確率的には20万分の1ですからね、4分の1に到達した感じですよ。
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