当時の羨んだゲームを【26/4/24】

今日の日記です。

今日は一日中ゲームをするか、寝るかしてました。

現在の進行度はこんな感じ。

今はまだ2周目を遊んでて、3週目はXrankを狙いながら難しめのチャレンジ実績を同時に狙っていこうかなと思ってる。

やりたいゲームが多くて困ってる。
嘘、困ってはない。

なんというかツクールのゲームがやりたい気分だ、ツクール系のゲームは小学生とかの頃に遊びまくった記憶がある。

ふりーむ!でいろいろダウンロードして遊んでたな。

狂い月

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「狂い月」:謎解きサスペンスホラーADV

これとか懐かしすぎる、懐かしすぎるけど一切の記憶がない。

なんでだろ、なぜか一切の記憶がない。

ママにあいたい

ママにあいたい:無料ゲーム配信中! [ふりーむ!]
「ママにあいたい」:「どうしても、僕はママに会いにいかないといけない」

これは少しだけ記憶あるな、両手がない少女を操作して色々するゲームだったかな。

遊んだけど、当時若すぎたというか小学4年生とかだったから意味とかどうしてこの人はこういう感情を持っているのかみたいなのがうまく咀嚼できなかった記憶がある。

多分今も心から理解はできないのだろう、まだ若すぎる。

今急に記憶が戻ってきたんですけど、ぴくとはうすって実況者の動画を見てやろうと思ったんだった。

あの時から人の動画見てやりたくなってやるというルーティンを持ってたんだな。今と変わらない。

あの時は自由にゲームをやりまくることも儘ならなかったから、実況者の動画を見ては羨ましそうに指をくわえてみてたな。

年を取ってある程度の自由を手に入れたら遊びまくってやろうと考えたのを思い出した。あと二分の一成人式(今もある?)小学4年生くらいの頃にある、10歳を祝う式みたいなのがあってそこで将来なりたいものを発表するみたいなのがあった、ゲーム作る人みたいなこと言ってたな、今思うのはやる方のほうがあってるということ。

ちょっと話がズレたけど、当時その式をやってるときに20歳まであと10年か…落胆じゃないけど、途方もないような感覚があったのを思い出した、あの時は精々ちゃんとした自我と意思が形成されて6~5年くらいだっただろうから長く感じたけど、なんとなく生きてたらあと2か月くらいで20歳になってしまう。もう10代が終ってしまうのか、自身の年の左の桁が1なのがもう終わる、そんなの最悪なので100歳まで生きてやろうと思います。


また話が変わったけど、昔実況者の動画を羨ましく指くわえてたゲームとかを今になってやりまくるってのは良いことなのではないだろうか、なぜか「やれる」という環境になった瞬間に興味というのが消失したような感覚がある。

ある程度の縛りと束縛があったほうが人生は楽しめるのではないだろうか、縛りからの解放の時が一番楽しいのかも。


あ~今日は外に行きます、そういう日です。

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