プレイ時間は2.7時間でした。
※本記事はMilk outside a bag of milk outside a bag of milkのネタバレが含まれます。
※前作『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』のネタバレも含みます。
※本作は精神疾患を題材にした作品です。記事内でもその点に触れています。
ゲーム概要
『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』前作のラストシーンから地続きで始まる、続編にあたる短編ビジュアルノベル。
開発・販売ともにNikita Kryukov氏。2021年12月16日にSteamでリリースされた。価格は930円と、176円だった前作と比べるとかなり値上がりしている。実績は10個用意されていて、無料のサウンドトラックDLCも配信されている。
ストアページの紹介文は「もう一度認知の狂った世界に入って少女を少しでも幸せにしてあげよう」という一文。前作で牛乳を買って帰ってきた、あの続きから物語が始まる。
公式が挙げている特徴としては、幻覚的な雰囲気の中で紡がれる言葉のピラミッド構造、少女の歪んだ認知を反映したピクセルグラフィック、そして多様なルートの存在。特にルートに関しては、たどり着くのが困難なセリフや画像、シーンがあるため、少女が隠している気持ちをすべてさらけ出すには本当の意味で親密にならなければいけない、という趣旨の説明がされている。
前作からの大きな変化としてはグラフィックの進化が挙げられる。一瞬別のゲームかと思うくらい見た目が変わっているのだが、物語としては完全に地続きになっている。
なお本作から入ることも一応できなくはないが、前作をプレイしていることが前提の作りになっているので、順番に遊ぶことを強く推奨します。前作は176円、プレイ時間も20分弱で終わるので、先にそちらを済ませておくのが確実。
考察
薬が再び効き始めた少女
本作は、前作で牛乳を買って帰宅し、その牛乳を飲んでしまった少女に、母親が注射のようなものを刺すところから始まる。おそらく牛乳を吐かせた?のだと思う。

その後、少女は薬を飲もうとするのだが、色々と考えた末、最終的には決められた薬を飲まず、自分で混ぜた(?)オリジナルの薬を飲む。
首の痛みがなくなっている。
手の痛みがなくなっている。
頭痛がなくなっている。
心臓の痛みがなくなっている。
胃痛がなくなっている。
目の痛みがなくなっている。
と、症状が和らいでいくようなセリフが続く。そして真っ赤に染まっていた視界はどんどん引いていき、自室の様子がくっきりと映るようになる。そこで、プレイヤーである心の声がまた少女に話しかける。
薬が再び効き始めたことで視界は明瞭になり、会話や思考も前作『Inside』より全体的にまともになっていると感じた。ここから、前作のゲーム開始時点ですでに薬の効果は切れかかっていたのではないか、ということが考えられる。というか、実際そうなんだろう。
なぜ牛乳を買いに行かせたのか
じゃあ母親は、なぜ薬の切れかかった状態の少女に、牛乳を買いに行かせたんだろうか。牛乳を飲まないといけないと思い込んでいる少女に対して、治療や訓練の一環として行かせたのか?

まず、母親は少女が牛乳アレルギーであることを知っているはずだ。それなのにわざわざ牛乳を買いに行かせるのは、別の目的があるからなのではないか。例えば、牛乳を買いに行くというプロセスそのものに、何かしらの意味があるとか。
スクールバッグをクリックした際の会話で、少女は「パパが帰り道に牛乳を買った」「まただよ」「私牛乳が大っ嫌い」と話す。
最初に思ったのは、パパは牛乳アレルギーである少女に牛乳を買い与えて飲ませることで、少女の息を止めたかったのではないか、ということ。でもそれならば、わざわざ牛乳を買い与えて少しずつ飲ませるなんてことはしないはずだ。
そこで、パパは「牛乳を飲まないといけない」という考えを少女に刷り込もうとしていたのでは、という説もある。ただこれに関しても、なぜわざわざそんなことをするのか理由が見当たらない。
精神疾患を患ってしまった少女が邪魔だった、という理由なら、前述したとおり牛乳を介する必要がない。アレルギー反応で苦しんでいる少女を眺めて楽しんでいた、みたいな理由ならまだわからなくもないが、それだとどうしても突拍子がなさすぎる。
結局のところ、このゲームの中では語られないし、知るすべもないんだろう。このゲームでプレイヤーにできるのは、少女の選択に対して問いかけることだけなのだから。
思考を蛍に見立てること
思考を蛍に変える、という考え方はかなり面白いと感じた。思考のかけらを拾い集める、みたいな言い回しはたまに見かけるけど、それを蛍に見立てるのはすごい。

最初はプレイヤーが「思考は小さなものの大群だと思えばいいんだよ、ゴキブリみたいに」と少女に話しかける。すると少女は「ゴキブリって大嫌い!ホタルでもいい?」と返し、思考をホタルに見立てることになる。このホタルを見つけていくことで、エンディングが分岐していく。
おそらく、この日がたまたまホタルだっただけで、ほかの日は別の何かに見立てたり、生き物じゃない日もあったりしたのではないか、と考えていた。
このゲームで描かれているのは、少女にとっての特別な日ではなく、何気ない一日にすぎない。そのなんでもない一日に、たまたまプレイヤーが生まれただけ。何ならほかの日は、プレイヤーではない別の存在と会話を繰り広げているんだろう。
そういうことを考えると、少女の今の状況が幸せなのか不幸なのか、わからなくなってくる。私も含め、ほとんどの人は「幸せではないだろう」と言うと思う。
でも、思考の自由があって、毎日自分自身と向き合って会話ができているのは、一種の幸せなのではないか。そして、我々が思う幸せが少女にとっても幸せなのかというと、きっとそうではないんだろうと思う。
少女にも幸せを追求することはできるし、その自由は守られていると思う。ただただ、少女が思う幸せを追求してほしいと願うばかり。
少女は部屋を「見て」いるのか
作中に「部屋中にあるものの場所を覚えるのに数か月費やしたの、だから今はっきりくっきりと部屋の物が見えるんだよ。」というセリフがある。そして、1ミリでも動かしたら全体像が崩壊して、私の目には見えなくなるとも話している。

このことから、少女は実際には自室を見ていないのではないか、と考えた。
というのも、ビジュアルノベルらしく部屋の全体像を背景に少女の立ち絵が現れる前は、横になって天井を眺めているシーンだった。そして天井を眺めながら、思考をホタルに変えて探していくことになる。
おそらく少女は、ゲームを通してずっと横になったままなのではないか。だからこそ「覚えるのに数か月費やした」というセリフが生まれるのだと思う。
ただ、部屋にいるのだから直接見て確認すればいいじゃないか、とも思う。それをしないのは、部屋にある物の一つ一つを「見たくない」からではないか。スクールバッグやラップトップも含めて、少女にとってはずっと見ていて気分のいいものではない。だからこそ、「見ない」で「想像」しているうちは、少女の中では何か大丈夫だったりするのかもしれない。
エンディング考察
エンディングは全部で5つ。ゲーム中に選んだ選択肢や、見つけたホタル(思考)の数によってエンディングが変化する。
エンディングはすべて少女が見る夢なのだが、最終的に涙を流しながら目を覚ますという終わり方は、5つのエンディングすべてで共通している。

分岐の条件は、最初の死を見るか見ないか、二度目の死を見るか見ないか、ホタルを何匹集めるか、紙切れを拾うか、の4つ。
分からないでしょ?

このエンディングは、トレスカという男の子が店に牛乳を買いに行くという夢。そしてこの夢は、『Inside』で少女がした体験の追体験になっている。
現実では、牛乳の購入に戸惑う少女に、プレイヤーが助言を与えてどうにか家まで帰ってこられた、というものだった。それが夢の中では、トレスカが牛乳の購入に戸惑って店員に詰められている様子を、少女のほうが俯瞰している。つまり、現実でのプレイヤーと少女の関係が逆転している夢になっている。
前述したとおり、どのエンディングも最終的には涙を流しながら目を覚ます。これは少女が過去に体験した苦難が、エンディングとして、そして夢として表れているのではないか、というのが率直な感想だった。
視線を落とす

こちらのエンディングの舞台は、螺旋状の階段と長い支柱がいくつも並んでいる場所。少女は自分が上っているのか下りているのかすらわかっていない。
正直、文章があまりにも難しすぎてほとんど理解できていない。なので、ゲームのシステム面からこのエンディングの意味を探れないか考えてみた。
「視線を落とす」を達成するには、ラップトップ以外のホタルを3つ発見し、さらに最初の死と二度目の死を回避する必要がある。つまりこのエンディングは、すべてのエンディングの中で一番ホタル(記憶のかけら)が少ない状態で見られるもので、その上で最初の死も二度目の死も回避している。
ここから考えられたのは、ホタル(記憶のかけら)の数によって、エンディングのリアリティが上がっているのではないか、ということ。
記憶を整理できたことで、過去に感じたリアルな苦しみを、なぜ苦しんでいたのか、何が苦しかったのかという形で言語に戻してしまった。だからこそ夢の中で、テキストとして、そしてその時の記憶から映像として再生されているのではないか。
逆に言えば、ホタルが最も少ないこの「視線を落とす」は、記憶が言葉として十分に形になっていないからこそ、あれほど抽象的で掴みどころのない文章になっているのかもしれない。
全部うまくいく・私たち友だち?

この2つのエンディングは、ホタルを5つすべて発見する必要がある。そしてどちらも、一目見ただけでどこかリアリティを強く感じる映像とテキストが流れる。
現実の延長線上にあるような感じがして、「あぁ、少女は前はこうだったんだな」と思ってしまった。やはり、今の少女と夢で見た過去の少女、どちらが幸せそうかと言われたら、私は答えるのを躊躇ってしまう。

「私たち友だち?」のエンディングでは、少女がピザのスマホアプリと会話している様子が描かれる。会話といっても、アプリからは「タイムセール中!今なら2枚の値段でピザ3枚!」という、会話にもなっていない通知が届くだけ。実質、彼女の独り言が語られているだけだ。
これを見ていて「これがあっての現在か…」とプレイ中に思っていた。今のプレイヤー、つまり心の声が生まれた理由や、その根源にある過去なんだろうなと。
まとめ

前作『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』の記事も含めて、私の拙い考察と文章を読んでいただきありがとうございます。
私事ではあるのですが、これまでこういった考察と呼べるようなことを一度もしたことがありませんでした。数ある作品を見てきて、遊んできても、表面をさらうような浅い考えしか浮かんでこなかった人生だったので、こうしてしっかり作品を読み取るという行為ができたのは、この作品があったからといっても過言ではないと思っています。
そして、このゲームにはまだいくらでも考察の余地が残されていると思います。なんなら私のした考察にも、別の考え方はいくらでもできるはずです。私なんて初見時、上記画像のシーンを見て「頭皮をドアップにしたときみたいだな」とか「スカルプDのCM?」とか考えていたくらいなので、もっと素晴らしい考察ができる人はたくさんいると思います。
なので、ぜひ自分で遊んでみてほしいです。感想をわざわざ文字に起こさなくてもいいので、遊びながら「ここってこういう意味なのかな」と考えてみるだけでも、きっと楽しいと思います。
少女がこれから先、自分なりの幸せを見つけられることを願って…
ということで『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』、まだ遊んでないって人はぜひ前作から順番に遊んでみてください。もう遊んだって人は、自分なりの解釈を誰かと話してみると、また違った面白さがあると思います。



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