プレイ時間は19分でした。
※本記事はMilk inside a bag of milk inside a bag of milkのネタバレが含まれます。
※本作は精神疾患を題材にした作品です。記事内でもその点に触れています。
ゲーム概要
『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』少女が牛乳を買いに行く。ただそれだけのことが途方もない挑戦になる、短編ビジュアルノベル。
開発はロシアのゲームクリエイターであるNikita Kryukov氏、販売元はMissing Calm。2020年8月26日にSteamでリリースされた。価格は176円と非常に安く、プレイ時間も10〜15分程度で終わる小さな作品。
内容としては、歪んだ認知を抱えた名前のない少女が、近所の店に牛乳を買いに行くまでを描いたもの。特徴的なのはプレイヤーの立ち位置で、本作において我々は「彼女の頭の中に響く声」としてこの物語に参加することになる。選択肢を通じて彼女に語りかけ、彼女を導いていくのが基本の流れ。
Steamのストアページには、この物語が実話に基づくと主張するのはあまりに具体的すぎるので、単なる抽象と言葉遊びの集合体だと思ったほうが簡単だ、という趣旨の説明がある。まず第一に言葉と形式による芸術的な操作であり、ゲームであるのはその次だ、とも書かれていて、この時点でただのビジュアルノベルではないことが伝わってくる。
続編として『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』が2021年12月16日にリリースされていて、こちらは本作のクリア後から物語が始まる。
考察
本作における目的は「近所の店で牛乳を買って、家に帰る」ただそれだけ。
一見なんでもない生活の一部に思えるこの行為が、少女にはどう映っているのか。それをプレイヤー、つまり少女の頭の中の声を通して眺めていき、時にはビジュアルノベルらしい選択肢を通して介入していくことになる。
ここからは、プレイ中に感じたことを個別に書いていきます。
プレイヤーとは何者なのか
「眺めていく」と書いたが、この【少女の頭の中の声=プレイヤー】(以降はプレイヤーで統一します)は、DDLC(ドキドキ文芸部)のような完全に外部、つまりゲームの外側にいる存在ではないように思えた。
もう一人の少女とでも言うべき存在なのではないか、とプレイ中はずっと考えていた。俯瞰しているというより、彼女と同じ目線で同じものを見ている。そういう距離感の存在に思える。
少女はプレイヤーを、思考の整理と外部の認知のために使っていたように映った。彼女が何か考え事を始めると、プレイヤーがその考えに対して疑問を挟んだり反論したりする。結果的にそれが、彼女の思考を手助けするような形になっていく。
わかりやすいのが、店で牛乳を買おうとするシーン。店員との会話で少女が動揺してしまい、お金を出すこと自体を忘れてしまう描写があるのだが、その時にプレイヤーが「お会計は?」と促す会話が入る。
少女は自分自身からプレイヤーという形で視点や認知を切り離すことによって、どうにか外の存在との関係を保っているのではないか。そんなことも考えていた。
【O】という文字について
ゲーム内には、少女が【O】という文字に酷く恐怖を覚えている描写が存在する。
私はこれを、何かしらのトラウマを抱えたワードを、頭の中で【O】という文字に変換しているのではないかと考えた。
例えば「こんばんは」という言葉に酷いトラウマがあったとする。その場合、「こんばんは」という響き、文字列、音のすべてを認識しないよう、その存在や概念自体を脳内で別のものに置き換えようとする。【O】はその変換の結果として現れた記号なのではないか。つまり一種の防衛反応ということ。
だからこそ「O!」という表記に、何か話しかけられているような、何かしらの単語を当てはめられそうな余韻が残っているのではないかと考えた。
少女の体感時間について
ゲーム内には、少女の体感時間を示唆する描写が複数存在する。
一つは、店に向かう道中でのプレイヤーのセリフ。「そういえば、この一分間ずっと、左足はアスファルト、右足は芝生の上を歩いてるけど、、。」というものがある。
これは家から店までの道のりに対して、少女自身が感じているしんどさの表れなのかなと感じた。学校までの通学路で寄り道したくなる気持ちだったり、やりたくないことをしている時間がやけに長く感じたりする、ああいう時間感覚に近いのではないかと。
もう一つの描写は、店での場面。牛乳を買おうとして店員と会話しているタイミングで、少女が「そのまま二日かほど過ぎたところで」と、会話中に経過した時間を二日ほどと形容する。
前者の「この一分間ずっと」と比べると、明らかに時間感覚のズレ方が違う。こちらは瞬間的なパニックだからこそ、時間が遠くまで過ぎ去ったような感覚になったのだと思う。
私事になってしまうけれど、焦ってパニックに近い状態になると、視点が一人称から三人称の俯瞰視点に切り替わって、時間が吹っ飛んだような感覚になることがたまにある。そういう感覚を知っているからこそ、ここは少女の抱える「何か」を強く感じるシーンだった。
こういう描写は、少女自身の時間感覚を知っていないと、真の共感や理解には到底たどり着けないものだと思っている。その上で、自分自身の経験や体感と並べてみることで、そこから少しずつ理解に近づいていくことは可能なのではないかとも思う。難しい話だ…
「薬」とパパについて
作中、店の中で少女は「牛乳を買わないで帰ったら、ママに窓から捨てられちゃう!」と話す。この場面と、家に帰った後にママが出迎えてくれるシーンから考えると、ママは実際に存在していることが確認できる。
それに比べてパパに関する言及は、店からの帰宅中の「パパはね、、窓から飛び降りて死んじゃったの。」というセリフと、「これはわたしの、パパだったモノ」という描写のみ。おそらく亡くなっていることがわかる。
そして気になったのが、視界の変化。
少女はゲーム開始時点、店に行くまでの道中、そして店の中から帰宅までの間で、どんどん視界に映るモノの赤黒さが増し、正確性が失われていくように見えた。
帰宅直前には「数分前についに薬が切れたので」というセリフがある。ここから逆算すると、おそらく「パパだったモノ」を見たあたりから薬が切れ始めていたのではないか。
つまり「パパだったモノ」は、薬が切れたことによって視界や認知にズレや妄想が介在し、そこに現れた一種の幻覚なんだろうなと思っている。そしておそらく、それが見えた場所というのは、実際にパパが亡くなった場所でもあるのだろう。
少女の視界が赤黒いのは、パパが亡くなった瞬間を目撃してしまったからなのか。あるいはそれ以前から傾向は見られていて、その出来事によって表面化した形なのか。そのあたりが次回作で明かされるのかどうか、楽しみですね。
さらに引っかかったのが、この「ついに」という書き方。
少女自身は薬を飲むことをあまり嬉しく思っていない。だからこそ、待ちわびていたような「ついに切れた」という表現になったのではないか。
こちらも私事になってしまうが、精神に関する薬を服用していた経験から書かせてもらうと、薬を飲んでいると自分ではない何かになってしまうような感覚が芽生える瞬間がある。
そしてその「自分ではない」と感じるのが嫌で、小学校の頃は服薬を拒絶していた記憶もある。だからこの「ついに薬が切れた」というセリフはすごく引っかかったし、勝手に分かったような気持ちになってしまうセリフだった。
まとめ
10〜15分で終わる短編でありながら、書き出してみたらこれだけの量の考察が出てくる。それが本作の一番の良さだと思う。
そして、私の理解力だとどうしても読み切れていない部分が全然あると思うし、私の拙い考察と文章では本作の魅力や意味を全然書けていないなという気持ちでもある。
価格も176円と手を出しやすく、プレイ時間も短い。ぜひ実際に遊んで、このゲームを感じてみてほしいです。続編の『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』も控えているので、こちらもいずれ記事にしたいと思っています。
ということで『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』、まだ遊んでないって人はぜひ遊んでみてほしい。もう遊んだって人は、自分なりの解釈を誰かと話してみると、また違った面白さがあるかもしれません。


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